色々と普通じゃない家庭のお話~その2
前回の続きです。
見出し
- カードゲームに出会う
- はじめてのお小遣い
- 恩師との出会い
- 別れの季節
- 厨二病発症
- 三人家族
- おわりに
カードゲームに出会う
ゲーム機で遊ぶことができなかったPOYO少年。
いつものように友達がゲームしてるところを観戦していると、カードゲームをしていた友達が遊戯王のデッキを1つプレゼントしてくれました。
中身は紙束そのものでしたが、当時はぼろぼろになるまでそのデッキで遊んでいました。
当時使っていたカードは、萌えイラストや強いカードより特別だと思います。
<昔お世話になったカード達>
大会でチー牛とする遊戯王よりも
大声できゃっきゃしながらする遊戯王の方が楽しかったなぁと思います。
初めてのお小遣い
当時(小学生の時)僕の周りの子たちは、
・お小遣いをもらって好きなものを買う
・好きなものを何でも買ってもらえる
って家庭環境だったので、喉から手が出るほどお小遣いが欲しくなっていました。
お願いした結果、毎週土曜に資源ごみを出すことで10円もらえるようになりました。
1か月4週間換算で、月給40円です。
それでも僕はとても喜んでいました。
味のうっすいコーラ味のガムを買い公園にザリガニを捕まえに行っていました。
この当時、月給40円という極貧小学生時代を経験したからこそお金の大切さやありがたさを学ぶことができたと思っているので
親に感謝しています。
恩師との出会い
小学校の思い出を語るうえで、個人的に絶対に話したい人がいます。
それは、小学三年生の時の担任の先生です。
20代の男性の教師で、とにかく優しくて面白くて顔も可愛い系の顔で僕が大好きな先生です。
「POYOはその優しい気持ちをを絶対になくしちゃだめだぞ。 20歳になったら絶対一緒に酒飲もうな!俺のこと忘れんなよ!(笑)」
とてもいい先生でした。
僕のこと覚えているのかなぁ。。。
別れの季節
楽しかった小学校生活はあっという間に過ぎてしまいました。
小学校の卒業式の日の前日、入学から6年間ずっと片思いしていた女の子が違う中学校に入学してしまうと知り、告白しようと強く決意し寝たのを覚えています。
当日になって告白することもできず、卒業後に何回も夢を見る羽目になりましたが
それも含めとてもいい思い出です。
小学校の卒業アルバムはたまに見返すと心が穏やかになります。
それは僕がロリコンだからではなく、小学校時代の周りの環境にとても恵まれていたからです。
厨二病発症
無事中学生になることができたPOYO君は「和太鼓部」という部活に参加しました。
理由は単純で、先輩がかっこよかったからなのですが
同年代の他の部員よりも口伝(譜面みたいなやつ)を覚えるのが早かった僕は可愛がられていました。
そこで調子に乗り、
「自分には才能がある」
「自分は特別だ」
「僕が握ったばちは聖剣に変化して万物を切り落とす」
と勘違いしてしまい、とてもとてもイタい中学校生活を送っていました。
当時の決め台詞は
「オ〇ニーなんてもう飽きた。性欲なんてもう枯れてしまったよ。」
でした。いろいろとこじらせているのが伝わるシンプルな台詞ですね。
三人家族
中学二年生の冬。
いつものように厨二病を発症させながら帰宅すると、母親がおかしくなっていました。
母親が精神病を再発し、母親が担当していた家事を全て僕が担当することになりました。
母親がわがままになり、自分に対してベタベタと甘えてきて、「ア~ンして」と夜通しお願いされる日常は
中学生の僕には重すぎる負担でした。
日常のストレスから、2次元に現実逃避するようになり、アニメ/声優を追いかけることで日常の辛さを忘れようと必死になっていました。
あまり思い出したくない期間ですがこの期間があったおかげで精神的に成長できたと思っています。
終わりに
いかがだったでしょうか。
他の家庭より少し特殊な環境で育ってきた成人男性令和童貞の自分語りでした。
自分の置かれている環境に不満を感じている方は、数年後きっと思い出となって不幸自慢に使えるので頑張ってもがいてみることをお勧めします。
読んでいただきありがとうございました。
色々と普通じゃない家庭のお話
こんにちは。POYOです。
猛暑と梅雨が交互に現れ、家にいるより外にいるほうが涼しく感じる今日この頃です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
このブログでは、就業中の暇な時間に適当に僕の育ってきた家庭環境についてたらたらと語っていきたいと思います。
更新頻度が不定期で、なおかつ素人が書いている文章なので、お見苦しいとは思いますが、もしよければ暇つぶしに読んでみてください。
前振りが長くなりました。 それではどうぞ。
見出し
- 生誕
- 可愛いいたずらっ子
- 少年POYO入学する
- ゲームとの出会い
- どうやら周りと自分が違う
- 宗教家の両親
生誕
辺境の田舎の病院にて、私は産まれました。
私には双子の兄がおり、兄と7時間差で生まれたそうです。
産まれたてほやほやの我が子2匹を、両親はとても可愛がっていました。
ですが、産まれて程なくして母親が衰弱していたため、私は叔父叔母の元へ引き渡されました。
可愛いいたずらっ子
数年の月日が経ち、無事に2足歩行を始めたPOYO(3歳)は好奇心の赴くままにいたずらの限りを尽くします。
小麦粉の袋の中に水を注ぎ、さえばしでぐるぐるとこねくり回し、疑似セメントと呼べそうな程にガチガチになった塗装物を生成したかと思えば、満足そうな笑顔で家の中を駆け回っていたそうです。
セメント生成に満足したPOYO君は、再び台所に戻り、お刺身の皿に乗っているわさびを片手いっぱいに握り、パクッっと口に頬張りました。
程なくして激痛が顔全体に広がり、目を見開いて懸命に自身の危機を声にならない声で訴えていたそうです。
我ながら可愛いですね(笑)
少年、POYO入学する
さらに月日が経ち、年齢は6歳。
療養中だった母親も帰宅し、無事に小学校入学の日を迎えました。
ピカピカのランドセル、自分の名前が書いてある文房具、新しく買ってもらった瞬足
新しい環境への期待で胸を膨らませていたのを覚えています。
当時のPOYO君はとても好奇心旺盛で、喜怒哀楽がわかりやすい子供らしい子供でした。
授業中に挙手を求められるシーンでは喉が枯れるほど大きな声で
「ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!!!!!!!!!」
とアピールし、自分以外の子が当てられると悔しくて泣いていました。
学校が終わると児童館「塾の遊びver」に通い、ずっと体を動かしていました。
当時児童館で流行っていた遊びは「めちゃどっち」「めんこ」「ベーゴマ」「キックベース」でした。
少々古臭さがにじみ出ていますが、とても健全で素晴らしい趣味だったと思います。
ゲームなんかせずに運動を続けていたらもっと楽しく人生過ごせてただろうに
そんな平和な日々を過ごしていると、人生の分岐点とも呼べるような出会いを迎えます。
ゲームとの出会い
2006年ポケットモンスターダイヤモンドパール発売
今でもダイヤモンドパールのTVCMを見るたびに鳥肌が立ちますが、当時はさらに興奮していました。
アニメで見ていたポケモンバトルが自分の手でできる...!!
「ダイヤモンドかパール買って!!」
当時母親に初めておねだりをしましたが、「そんな高価なもの買えません!」
と当時一蹴されました。
後に知ることになったのですが、この時僕が宝石をねだっていると勘違いしていたため断ったのだそうです(笑)
思えばこの時、ゲームを我慢させられたが故に今現在廃人レベルでゲームを愛しているのだと思います。
しょんぼりしながら児童館に向かうと、当時の友達がDSで遊んでおり、胸が苦しくなったのを今でも覚えています。
「なんであの子はDSを持っているのに僕は何もゲーム機を持っていないのだろう」
なんて当時考えていました。
どうやら周りと自分は違う
その頃から周りと自分を比較し始め、
自分にとって当たり前であったことが当たり前ではない
ことに気が付き始めました。
僕の双子の兄弟は、レベル6の知的障害を持っています。
(知的障害は6段階階級があり、レベル6は重症度MAX)
一言で説明すると、脳内年齢が3歳のまま止まっている状態です。
周りと自分の環境を比較し始めたときは、当時の僕は計り知れない理不尽さを感じました。
・家の蛇口が全部外れており、my蛇口を持たされている。
(兄弟が水遊びするのを防ぐため)
・海に行って兄弟が泣き出せば、たとえ来て10分しか経っていなくても帰宅しなければならない。
宗教家の両親
また、当時理不尽さを感じたのは兄弟だけが理由ではありません。
うちの両親は同じ宗教を信仰しており、その宗教の特徴として「他の宗教はすべて間違っている。お経を唱えればみんな幸せになれる。」というものであり、そのため以下のような子供時代を過ごしていました。
・毎日朝夜は15分程かけてお経を唱えお祈りをする
・毎週日曜日の午前に片道車で1時間かかる会館に赴き、集団で1時間弱お経を唱えお祈りをする
・クリスマス、初詣は他の宗教のイベントなので参加してはいけない
(未だに今までで一回もクリスマスパーティー、初詣はしたことありません)
・寺、神社は他の宗教の建物なので足を踏み入れてはいけない
(鳥居をくぐれば死に至るほどの悪運が付くといわれていました。)
・店内に天使が描かれているため、サイゼリヤ禁止(天使はキリスト教であるため)
・残酷な天使のテーゼを歌うのも禁止(天使がNG)
あれもだめこれもだめ、その癖に訳の分からない宗教を強制的に信仰させられていました。
他の家に産まれたかったと思った回数は数えられないほど多かったです。
今回はここまでにします。 また後日気が向いたときに続きを書きたいと思います。