色々と普通じゃない家庭のお話

こんにちは。POYOです。

 

猛暑と梅雨が交互に現れ、家にいるより外にいるほうが涼しく感じる今日この頃です。

 

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

このブログでは、就業中の暇な時間に適当に僕の育ってきた家庭環境についてたらたらと語っていきたいと思います。

 

更新頻度が不定期で、なおかつ素人が書いている文章なので、お見苦しいとは思いますが、もしよければ暇つぶしに読んでみてください。

 

 

前振りが長くなりました。 それではどうぞ。

 

見出し

  • 生誕
  • 可愛いいたずらっ子
  • 少年POYO入学する
  • ゲームとの出会い
  • どうやら周りと自分が違う
  • 宗教家の両親

 

生誕

 

辺境の田舎の病院にて、私は産まれました。

 

私には双子の兄がおり、兄と7時間差で生まれたそうです。

 

産まれたてほやほやの我が子2匹を、両親はとても可愛がっていました。

 

ですが、産まれて程なくして母親が衰弱していたため、私は叔父叔母の元へ引き渡されました。

 

 

 

 可愛いいたずらっ子

 

 

数年の月日が経ち、無事に2足歩行を始めたPOYO(3歳)は好奇心の赴くままにいたずらの限りを尽くします。

 

小麦粉の袋の中に水を注ぎ、さえばしでぐるぐるとこねくり回し、疑似セメントと呼べそうな程にガチガチになった塗装物を生成したかと思えば、満足そうな笑顔で家の中を駆け回っていたそうです。

 

セメント生成に満足したPOYO君は、再び台所に戻り、お刺身の皿に乗っているわさびを片手いっぱいに握り、パクッっと口に頬張りました。

 

程なくして激痛が顔全体に広がり、目を見開いて懸命に自身の危機を声にならない声で訴えていたそうです。

 

我ながら可愛いですね(笑)

 

 

 

少年、POYO入学する

 

 

さらに月日が経ち、年齢は6歳。

療養中だった母親も帰宅し、無事に小学校入学の日を迎えました。

 

ピカピカのランドセル、自分の名前が書いてある文房具、新しく買ってもらった瞬足

 

新しい環境への期待で胸を膨らませていたのを覚えています。

 

当時のPOYO君はとても好奇心旺盛で、喜怒哀楽がわかりやすい子供らしい子供でした。

授業中に挙手を求められるシーンでは喉が枯れるほど大きな声で

 

「ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!!!!!!!!!

とアピールし、自分以外の子が当てられると悔しくて泣いていました。

 

学校が終わると児童館「塾の遊びver」に通い、ずっと体を動かしていました。

 

当時児童館で流行っていた遊びは「めちゃどっち」「めんこ」「ベーゴマ」「キックベース」でした。 

 

少々古臭さがにじみ出ていますが、とても健全で素晴らしい趣味だったと思います。

 

ゲームなんかせずに運動を続けていたらもっと楽しく人生過ごせてただろうに

 

そんな平和な日々を過ごしていると、人生の分岐点とも呼べるような出会いを迎えます。

 

 

ゲームとの出会い

 

2006年ポケットモンスターダイヤモンドパール発売

 

今でもダイヤモンドパールのTVCMを見るたびに鳥肌が立ちますが、当時はさらに興奮していました。

 

アニメで見ていたポケモンバトルが自分の手でできる...!!

 

「ダイヤモンドかパール買って!!」

 

当時母親に初めておねだりをしましたが、「そんな高価なもの買えません!」

 

と当時一蹴されました。

 

後に知ることになったのですが、この時僕が宝石をねだっていると勘違いしていたため断ったのだそうです(笑)

 

思えばこの時、ゲームを我慢させられたが故に今現在廃人レベルでゲームを愛しているのだと思います。

 

しょんぼりしながら児童館に向かうと、当時の友達がDSで遊んでおり、胸が苦しくなったのを今でも覚えています。

 

「なんであの子はDSを持っているのに僕は何もゲーム機を持っていないのだろう」

 

なんて当時考えていました。

 

 

どうやら周りと自分は違う

 

 

その頃から周りと自分を比較し始め、

 

自分にとって当たり前であったことが当たり前ではない

  

ことに気が付き始めました。

 

僕の双子の兄弟は、レベル6の知的障害を持っています。

(知的障害は6段階階級があり、レベル6は重症度MAX)

一言で説明すると、脳内年齢が3歳のまま止まっている状態です。

 

周りと自分の環境を比較し始めたときは、当時の僕は計り知れない理不尽さを感じました。

 

・家の蛇口が全部外れており、my蛇口を持たされている。

(兄弟が水遊びするのを防ぐため)

 

・海に行って兄弟が泣き出せば、たとえ来て10分しか経っていなくても帰宅しなければならない。

 

宗教家の両親

 

 

また、当時理不尽さを感じたのは兄弟だけが理由ではありません。

うちの両親は同じ宗教を信仰しており、その宗教の特徴として「他の宗教はすべて間違っている。お経を唱えればみんな幸せになれる。」というものであり、そのため以下のような子供時代を過ごしていました。

 

 

・毎日朝夜は15分程かけてお経を唱えお祈りをする

・毎週日曜日の午前に片道車で1時間かかる会館に赴き、集団で1時間弱お経を唱えお祈りをする

・クリスマス、初詣は他の宗教のイベントなので参加してはいけない

(未だに今までで一回もクリスマスパーティー、初詣はしたことありません)

・寺、神社は他の宗教の建物なので足を踏み入れてはいけない

(鳥居をくぐれば死に至るほどの悪運が付くといわれていました。)

・店内に天使が描かれているため、サイゼリヤ禁止(天使はキリスト教であるため)

残酷な天使のテーゼを歌うのも禁止(天使がNG)

 

 

あれもだめこれもだめ、その癖に訳の分からない宗教を強制的に信仰させられていました。

 

他の家に産まれたかったと思った回数は数えられないほど多かったです。

 

 

 

 

 

 

 

今回はここまでにします。 また後日気が向いたときに続きを書きたいと思います。